3.11 沖縄で感じたこと


姪っ子から沖縄にきてるよーとラインがきた。

彼氏と旅行にいっているらしい。

「また無駄遣いしてんじゃねーよ」とか「まあお金も大事だけど経験も大事だしな」と思いながら、

僕は自分が沖縄にいったときのことを思い出した。


13年前の2011年3月11日、僕は沖縄行きの飛行機にのっていた。

翌日の友達の結婚式に出席するためだ。

空港につくとテレビの前に人が集まっていた。

飛行機にのっている間に、東北で大きな地震がおこったらしい。

かわいそうに。

10分ほどニュースをみて、その日のうちにいろいろまわろうと思っていたので先を急いだ。

スマホで観光スポットや位置を調べた。

ニュースでは津波警報がでていた。

母親も僕に「津波に気をつけろ」と何度も連絡してきた。

僕は少し警戒しながらもさすがにこんなとこまでこないだろと思ったり、あとは走って逃げるのもめんどくさくて、

そのまま歩いたりした。

タクシーの運転手が僕に声をかけ、8000円で1日どこでもまわってあげるというので、7000円だったらと交渉した。

運転手は少し悩んだ顔をした。僕は無理ならいいですと言った。

そこまでは殺伐としていたが、交渉がまとまったあとはお互い仲良くなって話をしながらいろいろまわってもらった。

何を俺は収入の低くて大変な人を相手にねぎってるんだ。僕は自分で交渉しておきながら、さっきのケチな自分がいやになり、運転手さんに申し訳なさを感じていた。

いろいろ行きたいところに連れていってもらった。

「よくわからないけど、有名な美海水族館や、ひめゆりの塔に行きたい。」

「なんか津波がくるかもしれないので海の近くは避けたい」

戦没者の墓についたとき、目の前には海がひらけていた。

海に近づきたくないと言っただろと思いながら、沖縄の戦死者の墓をみて僕は来れてよかったとも思った。


夕方僕はブログを書いたり、パソコンの勉強をするためにマックに入った。

そこでは当時あったUSTREAMやニコニコ動画で、津波の映像がたくさんながれた。

僕はそのときになってはじめて、ことの重大さを知った。

堀江さんがツイッターでニュースをリプライを続けて情報共有していた。

「堀江さんすごいです」とか「偽善ですか?」というコメントに「人が困っているときに手助けするのは当たり前でしょ」と答えていた。

高速道路の車がどんどん水にのまれ、最後にトラックが一台残った。そのトラックがその後どうなったのかはわからなかった。

こわかっただろうと思う。絶望して信じられないままなくなっていったのだろう。

僕は力がなくて何もできない自分が悔しかった。

力をつけてこういうときに何かできる自分になりたいと心に誓った。


翌日の結婚式で友人は、こんな大変なときに結婚式をひらかせてもらうことを申し訳ないと詫びた。

そしてこのことを忘れず、家族と人々のために生きれるようにがんばりたいと話した。

僕は悔しいことにいまだそれを達成することができていない。

だけど、あのとき誓ったことは今も忘れていない。

いろいろいやなことや悔しいことがあっても、無事に健康に生きれているだけでなんて幸せなんだろうと思う。

あきらめずに、がんばっていきたい。

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